第二十三話「清風」『さあ、お次はEブロック!』Dブロックからの少しの休憩を挟んで、ようやくレフェリーが出てきた。 『まずは飛び入り枠の祖父江博司! 飛び入りながらも強い強い! 一回戦は攻撃もせずに相手をギブアップさせ、二回戦はたった四発で対戦相手を沈めての三回戦進出です!』 「へぇ、そうだったのか。そいつはやるなあ……」 ひゅう、と神住が軽く口笛を鳴らす。 紗矢香がふふんと胸を反らした。 「当然でしょう、博司様だもん」 ぺらぺらと冊子をめくる。 「ええっと、相手誰だっけ……」 『対しますはランキング四位、<大野獣>国井義和!』 「国井義和ね……ええと……」 『いつもの如く千切っては投げ千切っては投げ、三回戦もその勢いのまま爆走できるのか!?』 「え~と……『行動:D、力:A+、速度:A-、技:D、耐久:B、ランキング四位』……うわ、ほんとに野獣っぽい」 言いたい放題の紗矢香だった。 それが気になったのか、サラシアが振り返る。 「侮っていると痛い目を見るんじゃないかしら? あなたたちが思っているよりも彼は強いわよ?」 「む、博司様が勝つに決まってるじゃない!」 「だから、その決め付けは駄目だと言っているの。分かる?」 右手の人差し指を立てて、言い含めるように言う。 紗矢香はさらに反論しようとしたが、イセリアの方が早かった。 「いや、博司が勝つ」 「武具?」 思いも寄らぬところからの援護に紗矢香は目を丸くする。 嬉しいような嫌なような、複雑な気持ちだ。 イセリアはなおも続けた。 「むしろお前が博司を侮っている」 「……言ってくれるのね」 サラシアは憮然とした表情を見せた。 明らかに気を悪くしている。 「とにかく、博司様が勝つんだから!」 有無を言わせぬかのように、紗矢香は断言した。 「よう、飛び入りにしちゃよくやるな」 そう言った義和は、見上げるほどに大きかった。 2m近くになるのではなかろうか。 タンクトップを筋肉が隆々と押し上げている。 しかも、鍛えるために鍛えられたのではなく使ううちに鍛えられた筋肉なのだと、博司には判った。 「いい身体してますね」 「親父もお袋もデケェんだ」 義和はぐっと拳を突き出して笑った。 その表情は案外あどけないところがある。 さすがに年上だろうが、二十歳にはなっていないのかもしれない。 「さあ始めようぜ、戦いを!」 好戦的な響き、笑み。 それに試合開始の声が重なった。 『始め!』 「そらっ!!」 義和が地を蹴る。 博司は目を見張った。 何の技巧もなくただこちらに向かって来る、それだけのことではあるのだが、とてつもなく速かった。 2m近い巨躯とは思えぬ速度だ。 そして、繰り出された拳もまた然りだった。 力任せに近いし動きそのものは単純で容易に読めるのだが、とにかく速い。 肉と肉のぶつかる音が響き渡った。 観客が息を呑む。 義和の右拳を博司の右掌が真っ向から受け止めていた。 義和がにやりと笑い、博司もにやりと笑った。 二人とも動かない。 が、何もしていないのではない。 義和がなおも押し込んでこようとする拳を博司は押し返し続けている。 そして博司は義和の拳を握り潰そうとしているのだが、義和の拳は潰れない。 ぴくりとも動かない中で言葉を交わす。 「……大したパワーだ」 「そっちこそ」 言った瞬間に、博司は力の向きを変えた。 掌を返して斜めへと流し、義和を引きこもうとする。 が、義和もその瞬間に拳を博司の手の中からもぎ離していた。 身体ごと大きく跳び退る。 「おっと……今、何か仕掛けてくるつもりだったな?」 そんなことを言う義和は鋭敏に察したのだということを理解し、博司は舌を巻いた。 しかし動きを止まってはいない。 すぐさま追撃に入る。 一足で踏み込むと、肘打ちからの裏拳へと繋げる。 肘打ちは軽く入ったが、裏拳は空を切った。 「おっと、今のはひやっとしたぜ」 義和は、肘を入れられたことなどまるで幻であったかのように平然と笑った。 「……何よあれ……入りが浅かったにしても、博司様の一撃を受けて碌にダメージになってないなんて……」 信じられない、という風に紗矢香が小さく頭を振る。 隣で神住が肩をすくめた。 「あのとおり、馬鹿力でタフな上にとんでもなく速いんだ。どう考えても反則もののポテンシャルなんだよ。あたいもさっきみたいなことやってちゃ勝てないんだ」 「戦いの勘もいいのさ~……さっきの掌を返したときのやつ、ああいうパワーとスピードな真っ向喧嘩闘法の人は普通かわせないよ~?」 遥も頷く。 その場にいる全員に一致した思いだっただろう。 まずありえない領域の身体能力に戦いの才を併せ持つ、とてつもない戦闘者の原石だ。 「感じたところ<武具>遣いとしての才能は皆無だが……今からでも磨けば最強クラスの戦士にはなれるだろうな」 「そうね、実にいいガーディアンになれるでしょう」 イセリアが言えば、サラシアも告げる。 ガーディアンというのは、高位の<武具>と契約しているがゆえに定常的に高い戦力を発揮することのできない<武具>遣いを護る立場の人間のことだ。大抵は<武具>を持たず、霊具で戦う。 もっとも、日本ではあまりそういう呼び方はしないのだが。 と、不意に朱鷺子が紗矢香を呼んだ。 「御堂紗矢香……だったな。気になることがあるのだが」 「……何ですか? 後じゃ駄目ですか?」 紗矢香は不満そうな顔をする。 試合が気になるのだ。 「後でもいいが、できるならば早い方がいい」 が、朱鷺子にそう言われてしぶしぶ近くに寄った。 「……一体何なんですか?」 「以前も思ったのだが、祖父江の戦いは不自然だ」 朱鷺子は声を低めて告げる。 すると紗矢香は朱鷺子を睨んだ。 「……何で先輩がそんなに博司様のこと観察してるんですか?」 「案ずるな。思い人のこととなれば反応が過剰になるのは判るが、私は祖父江に懸想しているわけではない」 呆れることすらなく、朱鷺子はその言葉と視線を切って捨てる。 「……わ、お姉ちゃんってばそんなこと判る人だったんだ?」 心底驚いたように遥が目を丸くして茶々を入れる。 朱鷺子は冷ややかに遥を見やった。 「お前が雄介に気があるのも知っている。重要な用件だ、邪魔をするな、遥」 「な……何でこんなとこで言っちゃうのさ~!!?」 騒ぐ遥を尻目に、紗矢香に向き直る。 「それでだ……毎日のように学校を早退してまで身に染みこませた技が、何故あれほど鈍い?」 「っ!!?」 淡々とした言葉だったのだが、紗矢香は大袈裟なほどにびくりと身体を震わせた。 視線は下に落とされ、己の身を抱くようにする。 朱鷺子もそれに気付いてはいたが、あえて続ける。 「身に染みこませた技というものは、他の動きに比べて極めて迅速だ。先ほどの肘から裏拳、流れそのものは身体が覚えこんだ極めて滑らかなものだというのに、何故鈍い? あれは生来の敏捷性が云々という話ではない。あまりにも不自然だ」 「それは……」 紗矢香はそう呟くのみで、そこから先は出ない。 これ以上追求しても出ないだろうと朱鷺子は踏む。 「答える必要はない。私が知る必要もない。踏み込みすぎたことであれば詫びよう。だが、原因があるのであれば放っておいていい問題とも思えん。手伝えることがあれば手伝うが?」 その申し出にも紗矢香は答えなかった。 ただ、俯いているのみだった。 「ふっ! はっ! せい! せやぁっ!!」 鋭い息とともに、拳と脚が縦横に繰り出されてくる。 それを防戦一方に回っていなしながら、博司は感心するしかなかった。 義和の戦い方は非常に真っ直ぐだ。 攻撃という攻撃は真っ向から相手を打ち砕こうとするもので、読み易い。 しかし、切れと伸びは実に大したものだ。防戦一方に回っているのは、そうしなければ何撃も貰ってしまうからだ。 そして殺気など欠片もなく、相手に対する、というよりは己の身体をどこまで動かせるかを求めているような雰囲気がある。 おそらく義和にとって、このバトルフィールドは自己表現の一種なのだろう。 なんというか、やり合っていて実に気持ちがいい。 嬉しくなってくるほどだ。 全力を出したくなってきた。 今も惜しみなく戦っていることには変わりないが、やはりいくつか意識して封じていることはある。 しかし本気を出すわけでもない。 <武具>遣いにとって、本気とは相手を屠りにいくことだ。この試合には似つかわしくないことこの上ない。 だから今でもなく本気でもない、それくらいの力を出したい。 義和の拳を最初のように受け止め、見上げた。 博司が何か言おうとしているのを察して、義和も動きを止める。 「何だ?」 「最高の攻撃で来てください。俺も今出せる最高の反撃で応えます」 視線が真っ直ぐにぶつかり合う。 義和は面白そうに笑った。 「いいだろう」 二人は自然に距離をとり、改めて向かい合う。 観衆が静まり返った。何かが起ころうとしているのを感じ取ったのだろう。 義和は身をかがめ、右腕を腰溜めに構えた。 何をしようとしているのかは明白だ。拳打の究極たる、一撃の下に相手を倒すことを求めた拳。 武を求める者が最後に辿り着こうとする場所であり、同時に幼子の唯一知る拳でもある。 それはまさに、義和が最高を求めるとあればこれ以上相応しいものはないと思える選択だった。 対して、博司は棒立ちだった。 しかし義和は疑わない。 最高の反撃をすると約束したからには、最高の一撃が来るのだと。 「行くぞぉっ!!」 地を蹴った。 渾身の拳が繰り出される。 後ろに跳んでなお、その一撃は胸を貫かんばかりに打った。 まさに、吹き飛ばされる。 それでも、博司の動きを止めることは出来なかった。 左手が義和の腕を捉え、吹き飛ばされる勢いすら加えつつ身を返し、義和を投げ飛ばす。 そして義和が凄まじい勢いで地面に叩きつけられた上から、肘を最下点として落下する。 しわぶきひとつなかった。 レフェリーまで息を呑んでいる。 博司も義和も動かない。 しばしして、義和がぱたぱたと手を振った。 「……降参だ。立てねえ」 『……く、国井義和ギブアップにより、祖父江博司の勝利です!』 アナウンスに、観衆が沸き返った。 凄まじいまでの興奮に満たされる。 その中で、博司は身を起こしながら義和に言った。 「あなたには、物凄い才能があります。俺の知ってる中でも多分屈指です。頑張ってください、あなたはもっともっと強くなれる。俺が保証します」 「そうか? うん、いや、実はオレもそう思ってる」 義和はあっけらかんと言う。 しかし厭味はなく、それさえも清々しい。 博司は立ち上がった。 「じゃあ、行きますから」 正直、惜しい人材だとは思った。 例えば霊具を渡して十年も修練を積めば、超一流の戦士になっているだろう。 しかし、こちら側に来させるべき人間ではない。 その輝きは表の世界でこそ最高に発揮されるはずだ。 そんなことを思いながら、試合フィールドを後にした。 朱鷺子は何も言わず、観察する。 最後の攻防だけは、博司の動きは迅速だった。 おかしいと感じたのは己の気の迷いだったのかとも思うのだが、むしろ今度は紗矢香の反応の方が気になる。 「さすが博司様! 事実上の一撃ですよ、一撃!!」 当の紗矢香は、先ほどまでとは打って変わってはしゃいでいるが、やはりどこかに無理は見える。 何かがあるのは間違いない。 しかし厳しいことにはなろうとも、何とかせねばならないことでもあることも確かだと思えた。 分かたれた生死は、最早理由を問うても還ることはないのだ。 |